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残間里江子の経歴や病歴がヤバイ!未婚の母で息子はメディア関係者?

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残間里江子さんは山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」をプロデュースしたことで有名な女性プロデューサーです。

そんなすごいプロデューサー残間里江子さんのプロフィール学歴経歴ってちょっと知りたいですよね~。

また、残間里江子さんは数々の病気を乗り越えながら未婚で息子さんを育ててきたそうで、病歴や息子さんについても気になります。

そこで今回は残間里江子さんについて

  • 残間里江子さんのプロフィール
  • 残間里江子さんの学歴や経歴
  • 残間里江子さんの病歴
  • 残間里江子さんの息子さん

について詳しく紹介していきたいと思います。

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残間里江子のプロフィールは?

残間里江子さんのプロフィールを紹介していきます。

名前:残間里江子(ざんま りえこ)

生年月日:1950年3月21日

年齢:72歳(2023年2月現在)

出身地:宮城県仙台市

血液型:O型

職業:フリープロデューサー・エッセイスト

残間里江子さんのブログはコチラ⇒そろそろワガママでいこう!

ブログは毎日更新されていますよ。

 

残間里江子の学歴や経歴は?

残間里江子さんの学歴と経歴を紹介していきたいと思います

残間里江子の学歴は?

残間里江子さんは宮城県仙台市に生まれ、中学1年生から静岡県富士市で育っています。

出身高校は明かされていませんが、静岡県内の女子高に通っていたようです。

出身大学は明治大学短期大学(法律科)を卒業しています。

明治大学短期大学は2003年に生徒募集を中止し、2007年に廃止となりました。

残間里江子の経歴は?

続いて経歴を紹介していきます

1970年 明治大学短期大学卒業後に静岡放送にアナウンサーとして入社
1972年 静岡放送を退社
1973年 光文社に入社し女性自身編集部記者として勤務
1980年 企画制作会社「キャンディッド」を設立し代表取締役社長になる

(※現在はキャンディッド・コミュニケーションズ)

1980年 山口百恵の自叙伝「蒼い時」をプロデュース
1983年 雑誌「Free」(平凡社)の編集長に就任
2001年 財務省「財政制度等審議会」委員を担当

国土交通省「社会資本整備審議会」委員担当

2002年 「キャンディッド・コミュニケーションズ」代表取締役会長に就任
2004年 厚生労働省「2007年ユニバーサル技能五輪国際大会」総合プロデューサーを担当
2005年 「クリエイティブ・シニア」を設立し代表取締役社長に就任
2009年 大人のネットワーク「club willbe」を創立し代表に就任

法務省「裁判員制度に関する検討会」委員に就任

2010年 藤田観光社外取締役に就任

 

経歴が凄すぎますね( ゚Д゚)

そして数多くの本も執筆されています。

『一度は結婚してみよう』(ルック社、1976)

『雨天決行 恋するように仕事をしたい』(文化出版局、1984)のち三笠書房知的生きかた文庫

『男解体新書』(講談社、1985)

『女の仕事 地球は、私の仕事場です』(文化出版局、1987)

『元気のヒミツ 戦略を持たない女は生き残れない』(PHP研究所、1994)

『はじめて就職するあなたへ』(PHP研究所、1995)

『なんでもかんでも腹が立つ』(角川春樹事務所、1997)

『それでいいのか 蕎麦打ち男』(新潮社、2005)「引退モードの再生学」文庫

『モグラ女の逆襲 〜知られざる団塊女の本音〜』(日本経済新聞出版社、2007)

『人と会うと明日が変わる』(イースト・プレス、2011)

『閉じる幸せ』(岩波新書、2014)

『もう一度花咲かせよう』(中公新書ラクレ、2019)

引用元:Wikipedia

 

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残間里江子の病歴がヤバイ!

残間里江子さんは、生まれた時から体が丈夫ではなかったようで、たくさんの病気をしてきました。

《出生時》

残間里江子さんはかなりの難産で鉗子分娩で生まれました。

その時の鉗子が視神経を傷つけたらしく、左目がほとんど見えていない状態になってしまい、今でも左の額と頭の際に傷跡が残っているそうですよ。

写真に写っている姿がどれも左目をつぶっていたため、母親が病院に連れていき左目が見えていないのが発覚しました。

残間里江子さんの母親は、「自分のせいで」と自分を責め続けていたそうです。

《生後直後~子供時代》

生後間もなく、百日咳小児喘息赤痢を患い、小学3年生の時には小児性関節リウマチ炎心臓弁膜症などになりました。

中学時代は100日間も入院していたそうです。

決して裕福ではない暮らしだったようで、医療費の工面も大変だったでしょうね。

《成人~》

子供時代にとどまらず、成人してからも

●胆のう炎 ●十二指腸潰瘍 ●胃潰瘍 ●ジベルばら色粃糠疹 ●虫垂炎 ●声帯ポリープ ●腱鞘炎

など、たくさんの病気と闘ってきました。

《更年期》

更年期に入ると無痛性甲状腺炎や、ブシャール結節(手指の第二関節が痛む病気)、慢性気管支ぜんそく狭心症も発症しています。

さらに半年前からは、右膝の半月板損傷背骨の棘突起(きょくとっき)過敏症にもなっているんです。

 

残間里江子さんの病歴をまとめましたが、すごい数の病気ですね!

これだけの病気と闘ってきましたが、凛として生きている残間里江子さんは逆に強いな~と思います。

 

残間里江子は未婚の母?

残間里江子さんは39歳の時に子供を授かって出産しています。

それからずっと未婚の母として息子さんを育てたのですが、父親は?と疑問に思いますよね。

残間里江子さんは、26歳の時に明治大学短期大学時代に同じ部活だった方と結婚していますが、お互いの仕事の忙しさからすれ違うようになり旦那さんの浮気が発覚してしまいました。

離婚を申し出ても受け入れてもらえず、新しい恋人ができたら離婚を受け入れてもらえるかも!と思い、他の男性とお付き合いをスタートさせました。

その新たに交際を始めた男性が息子さんの父親になります。

子供ができたことで離婚が成立しましたが、息子さんの父親とは再婚せずに未婚の母となりました。

 

 

 

残間里江子の息子はメディア関係者!

息子さんはの名前は直巳(なおみ)さんで、残間里江子さんが39歳の時に出産していますので、現在33歳くらいになっていると思います。

息子の直巳さんも母親と同じくメディア関係のお仕事をされており、忙しいため連絡はあまり取り合っていないそうです。

近所に住んでいるとのことで、つかず離れずの生活でお互いに良い距離なのかもしれませんね!

残間里江子の出産のエピソートがすごい

 

残間さんは、出産の際に、周りに隠していたこともあり人間ドックを理由に休みをとられて、39歳で息子を産んだそうです。

その後はわずか1週間で復帰しています。

とってもバイタリティーに満ちた女性だったことがわかります。

2019年5月2日の残間さんのブログによると、直巳さんは仕事が忙しく、なかなか連絡を取ってこないそうです。。

 

まとめ

残間里江子の経歴や病歴がヤバイ!未婚の母で息子はメディア関係者?について詳しく紹介していきました。

残間里江子さんについて調査結果をまとめると

  • 残間里江子さんの学歴は明治大学短期大学
  • 残間里江子さんの経歴は代表取締役社長や代表などがズラリと並んでいる
  • 残間里江子さんの病歴は産後間もなくから現在まで多数
  • 残間里江子さんの息子は同じくメディア関係の仕事

ということがわかりました。

経歴は驚くほど凄いもので、病気の数も多すぎてビックリしました。

病気と闘いながらも子供を育て、いくつもの社長を務めている残間里江子さんは本当にカッコイイ女性ですね!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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