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上祐史浩は結婚して妻や子供がいる?現在はひかりの輪の代表で宗教家!

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仰天ニュースで地下鉄サリン事件をおこしたオウム真理教の特集が放送されますが、
当時、広報官として連日メディアにでて対応していた対応していた上祐史浩さんは現在は、どうしてるのでしょうか?

「ああいえば、上祐」の流行語まででて上祐ギャルという、おっかけまで誕生した上祐史浩ですが、現在はどうされているのでしょうか?

そして結婚されて妻やお子さんがいるのかも気になります。

また上祐史浩の生い立ちや実家・プロフィールなどについても調べてみようと思います。

この記事では

  • 上祐史浩は結婚して妻がや子供がいるのか?
  • 上祐史浩の現在はひかりの輪の代表で宗教家!
  • 上祐史浩の生い立ちや実家は?

についてまとめています。

上祐史浩は結婚して妻がや子供がいるのか?

上祐史浩は結婚して妻や子供がいるのか調べてみたところ、

上祐史浩氏は結婚はしておらず、独身なので妻も子供もいません。

ただ上祐史浩は結婚間近だった恋人がいたことがあります。

大学時代から交際してい都沢和子という恋人がいました。

都沢和子は昭和女子大学短期大学部英米文学科在学時にESS(英語弁論サークル)に所属しており、早稲田大学ESAに所属していた上祐史浩と知り合って交際に発展したと言われています。

都沢和子は学卒業後、住友化学に就職しOLとして勤務していて、4年目には上祐史浩が挙式の日取りまで決めていて結婚間近だったそうです。

ところが上祐史浩は結婚直前にオウムに入信してしましまい、都沢和子も会社を辞めてオウムに入信してしまいます。

そんな二人ですが、入信後にすぐに別れて麻原彰晃に彼女を献上したと言われています。

教祖に恋人を取られてしまった上祐史浩ですが、その時の辛さを修行だと思って乗り越えたそうです。

信じられない世界ですね・・

ちなみに、宮沢和子は1995年1月に住居侵入で逮捕され、懲役1年の判決を受けています。

「尊師は煩悩を遮断する力が強いので誰とセックスしてもいい」「彼女(都沢)は麻原尊師と融合するならば、それはあの、精神的ステージが高くなるんで、私と融合するよりいいと思うんで、私は恋人を麻原尊師に捧げたいと思います。私はそういうのは負担ですので。」

引用:Wikipedia – 上祐史浩

 

ただし辛い思いをした上祐史浩にも入信後にも愛人が出来たとも言われています。

そして上祐史浩氏は結婚はせず独身ということです。

ひかりの輪の代表ということで、もしかすると愛人はいるのかもしれませんね。

 

上祐史浩の現在はひかりの輪の代表で宗教家!

上祐史浩の現在はアレフから独立する形で2007年5月7日に設立した【ひかりの輪】の代表をしています。

しかしその前に上祐史浩は「亀戸異臭事件」「国土利用計画法違反事件」この二つの事件の関与によって、実刑判決を受けます。

そして

懲役3年の実刑判決を受けて広島刑務所で服役しています。

そして1999年12月29日に広島刑務所を出所しています。

上祐史浩は出所後、着々と宗教活動を再開するために準備し2002年12月29日に上祐史浩が中心になって宗教団体アレフを立ち上げます。

ちなみにオウム関連の事件後にオウム真理教は下記の3つの団体に分裂し活動は継続されています。

①アレフ
②山田らの集団
③ひかりの輪

オウムから分裂した3つの団体のうち、アレフは現在も麻原彰晃死刑囚を崇拝しており、特に危険視されている宗教団体と言われています。

上祐史浩氏は2002年にアレフを立ち上げますが、2007年3月8日にアレフを正式に離脱します

代わりに「ひまわりの輪」を立ち上げ、代表を務めています。

ひかりの輪は、麻原信仰を完全に捨てて、一連の事件を反省したと表明。

また、上祐史浩は事件を反省して被害者に賠償していることされています。

しかし、これらの3つの宗教団体は、団体規制法により公安調査庁による観察処分の対象になっています。

上祐史浩は、現在は麻原信仰は捨てたとしてひかりの輪の代表として宗教活動に励んでいて
全国で心理学やヨガ・瞑想・脳科学などのセミナーなども開催されているようですね。

またイベントに参加した人を勧誘しているとも言われています。

麻原信仰は捨てたとされていますが、マイトレーヤを飾っているなどオウムの名残りを信者にアピールしている部分があるとの指摘もあるようですね・・・

ひかりの輪は少人数ですが、ほそぼそと活動をやってるという感じなのでしょうか。

 

上祐史浩の生い立ちや実家は?プロフィールも

上祐史浩の生い立ちや実家・プロフィールについても調べてみました。

 

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  • 本名: 上祐 史浩(じょうゆう ふみひろ)
    生年月日: 1962年12月17日
    出身地: 福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)
    学歴:早稲田大学大学院履行学科研究科修士課程修了
    ステージ: 正大師
    教団での役職: 外報部長、緊急対策本部長、アーレフ元代表
    入信: 1986年8月
    関係した事件: 亀戸異臭事件、国土利用計画法違反事件
    判決: 懲役3年
    現在の活動: ひかりの輪代表引用元:Wikipedia – 上祐史浩

上祐史浩は、1962年に福岡県に生まれ父親は久留米で銀行員、母親は元教師という固い職業の両親に育てられます。

父親が東京の貿易会社に転職したことで一家で上京します。

その後独立して事業を立ち上げるも失敗したため家に帰ってこなくなりました。

そして父親は別の女性と関係を持っていたことで別居状態となり、上祐史浩は母親と二人暮らしをはじめます。

上祐史浩が成人してオウム真理教に入信する頃に両親が離婚したそうです

 

このような家庭環境の不安定さも関係あったのかオカルトや超能力、宇宙と未知の世界に興味を持ちはじめていったそうです。

そういったことから「オウム神仙の会」に入会するきっかけになったのでは?と言われています。

 

上祐史浩は結婚して妻や子供がいる?現在はひかりの輪の代表で宗教家!まとめ

上祐史浩は結婚して妻や子供がいるのか?現在はどうされているのか調べてみました。

まとめると

・現在は独身で妻も子供もいない
・オウムに入信するまえは都沢和子という結婚間近な恋人がいたが共にオウムに入信し、麻原彰晃に彼女を献上した過去がある
・現在はひかりの輪の代表でセミナーなどを開催している様子

以上です。

最後まで読んでくださり有難うございました。

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