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片桐清ニ機長は現在は葉山在住?家族や副操縦士の名前と現在は?【画像】

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仰天ニュースで羽田沖墜落事故が取り上げられますね。

今から40年以上も前の事故ですが、歴史に残る衝撃的な事故でした。

この事故は片桐清ニ機長が正常な判断能力を失っていたことが原因と報道されています。

日本航空350便墜落事故の概要や、事故となった原因の詳細など気になりますよね?

また片桐機長の現在や副操縦士のその後についても詳しく調査していきたいと思います!

 

そこで今回は片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の

  • 片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の概要
  • 片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の原因
  • 片桐清ニ機長の現在家族
  • 片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の副操縦士の名前と現在

について紹介していきます。

羽田沖墜落事故の概要とは?

日本航空350便墜落事故は、1982年2月9日に起きた航空事故です。

福岡空港発・東京国際空港行の定期便であった日本航空350便は、着陸まであと少しという所で羽田空港沖に墜落しました。

機体の前方にいた乗客は海に放り出され、乗員乗客 全174人のうち24人が死亡し、95人が重傷、54人が軽症を負う被害となりました。

 

事故当時は天候が良かったにも関わらず、なぜこのような事故が起きてしまったのでしょうか?

 

当初は事故機となった「ダグラス DC-8-61」は1967年に製造され、訓練機としても使われていた経年機であったため、機体トラブルが原因と考えられていました。

 

その後に行われた調査で機体トラブルによる不慮の事故ではなく、人災であったことが明らかになったのです。

 

日本航空350便墜落事故の原因は何だったのか詳しく見ていきましょう。

 

 

片桐清ニ機長(羽田沖墜落)事故の原因は?

日本航空350便墜落事故の原因は機長である片桐清二さんの操縦によるもので、逆噴射装置を作動させてしまったのが大事故につながってしまいました。

その結果、乗員乗客 全174人のうち24人が死亡し、95人が重傷、54人が軽症を負うという歴史に残る事故になってしまいました。

片桐清二機長は操縦桿を前に押して機首を前傾させたうえ、逆噴射装置も作動させたために、滑走路直前で機体が急降下して滑走路の手前で墜落しました。

片桐清二機長はなぜ逆噴射装置を作動させてしまったのでしょうか?

その原因は、片桐機長は精神疾患だったと言われています!

 

片桐機長は航空大学卒業後の1969年10月1日にパイロットとして日本航空に入社。

1976年8月26日に日本アジア航空へと出向し、定期運送用操縦士の学科試験を受けますが不合格してしまい、これを境に精神的に不安定になったと言われています。

周囲の証言によると片桐清二機長には、事故の前から以下のような変調や異常行動が見られていたようです。

異常が感じられた時期を時系列にしてみてみたいと思います

1976年秋頃 片桐清二は、幻聴や幻覚に悩まされる
1977年頃 雰囲気も暗くなり、周囲からは鬱状態なのかと心配される。
1978年頃 上記のように周囲に対して異様な発言をするようになる。
1979年12月 33歳の時に機長に昇格します
1980年 このころから乗務中にミスを多発。
10月には乗務を休むこともありました。
片桐清二機長は病院を受診して「鬱病、もしくは心身症」と診断をされ、休職し療養しています。
1981年4月 職場復帰。しかし、4月8日の時点で病院からは「鬱病は治っていない」と診断されたことが判明

 

事故のあった時も幻聴が聞こえるなど、精神状態は極めて不安定だったようです。

 

事故当日、350便に乗務中も幻聴に悩まされて、様々な妄想が頭をよぎった後、正気に返るということを繰り返していたという片桐清二機長。

 

事故前の片桐清ニ機長の画像がでてきたのですが、無表情で精気がないように感じられますね。

出典:https://page.auctions.yahoo.co.jp/

機長、やめてください!」逆噴射は流行語になる

ネットで有名な「機長(キャプテン)、やめてください!」というセリフは、石川幸史副操縦士が頑なに操縦桿を押し込む片桐清二機長に対して放った言葉です。

片桐機長は逆噴射に踏み切る前に幻聴がきこえたそうです。

墜落する直前の8時44分1秒、手動操縦に切替えた時に「イネ…イネ…」「お前も行くんだ」という幻聴が聞こえるようになり、逆噴射に踏み切りまったようです

 

同乗していた石川幸史副操縦士が「機長(キャプテン)、やめてください!」と叫びながら慌てて操縦桿を戻そうとしますが、機長の操縦桿を押し込む力が非常に強かったために揉み合っているうち墜落したとされます。

事故後の記者会見で「逆噴射したような状態」と「ボイスレコーダーに『機長、やめてください!』」や「心身症などで休職していた」などの発言があった事から、「逆噴射」「心身症」「機長、やめてください」というワードは、1982年の流行語になっています

当時は聞きなれない言葉だったという事が大きく、流行語に選ばれたそうです。

また精神疾患を揶揄する隠語として「逆噴射」というワードが使用され、事件の2年後には家庭内戦争をテーマとした「逆噴射家族」という映画が上映されていました。

今の時代では事故をネタにするなんて不謹慎だとブーイングを受けそうな出来事ですが、当時は許容範囲だったのでしょう。

 

 

 

片桐清二機長の経歴プロフィールは?

片桐清二機長の経歴プロフィールを紹介していきます

・名前:片桐清二(かたぎりせいじ)
・出身:大分県別府市
・所属・日本航空
・出身高校:大分県別府市鶴見丘高校卒業
・岡山理科大学理学部数学科に進学するが中退
・航空大学校に入学
・1969年10月1日に日本航空に入社

片桐清二元機長は大分県別府市の時計店を営む裕福な家庭の生まれで、家族構成は両親と姉がいました。

航空大学卒業後の1969年10月1日にパイロットとして日本航空に入社しています。

1976年8月26日に日本アジア航空へと出向し、定期運送用操縦士の学科試験を受けますが不合格。

これを境に精神的不安定さが見られるようになります。

1979年12月の33歳の時に機長に昇格されています

片桐清二機長は日本航空に入社してからの、走行飛行時間は5,698時間だったと情報がありました。

 

 

 

片桐清ニ機長の現在と家族は?

日本航空350便墜落事故を起こした片桐清二機長の現在はどうされているのでしょうか?

当時、片桐機長はこの事故により、腰椎骨折、及び軽度の打撲などの怪我を負いましが、乗客に紛れて真っ先にボートで救出される機長の姿が報道され、厳しい批判を浴びています。

 

片桐機長は業務上過失致死罪により逮捕されましたが、精神鑑定により妄想性精神分裂病と診断され不起訴処分となっています。

その後片桐機長は東京都松沢病院に入院をしていましたが、その1年後にJALを解雇されました。

片桐清二機長の年齢は事故当時35歳と報道されていましたので、2023年時点で70代半になられていると思います。

 

退院後は、片桐清二機長は神奈川県葉山市にある自宅で普通に過ごしていると言われています。

 

2002年には「週刊文春」によると自動車の免許を再取得したこと、ごくたまに外出しているが、ほとんど自宅から出ないといった現在の様子が報じられていました。

片桐清二機長の実家がJALを解雇された後は、退職金と年金、精神障害者保健福祉給付を受け取っていると考えられるため、働かなくても食べていけるのかもしれません。

さらに実家が元々資産家だったたということもあり生活には困らないのかもしませんね

片桐清二機長の家族は?

家族については、片桐清二はパイロットになった後、CAだった妻と結婚されています。

奥様のご実家が医者をやられていたため裕福なご家庭の出身だと言われています。

2人の間には娘も生まれています。

しかし、墜落事故後に離婚していると情報がありました。

そして片桐機長には片桐千鶴子さんというお姉さんがいらっしいました。

お姉さんは「 幻の滑走路 弟清二と羽田沖墜落事故という事故の真相について本を書かれてらっしゃいます。

お姉さんに関してはその後、片桐機長と2人で暮らしているとかもうすでにお亡くなりになっているという説もあり真偽のほどは不明です。

幻の滑走路 弟清二と羽田沖墜落事故
片桐元機長の姉の手記で、異常行動を起こすまで詳細に書かれています


 

石川幸史副操縦士の名前と現在は?

羽田沖墜落事故の石川副操縦士のその後と現在はどうされているか調べてみました。

同乗しており、異常に気づき機長が押し込んだ操縦桿を引き「機長、やめてください!」と発した副操縦士です。

石川幸史副操縦士は事故後に自身も腰の骨を折る大怪我をしていましたが、現場に最後まで残り救助活動を続けていたといいます。

 

事故後も副操縦士として経験を積み、日本アジア航空で機長となりました。

JALのパイロットでは知らない方はいないほど、そして人格者だったようです!

石川幸史のプロフィールは?

名前・石川幸史
年齢:74歳(2023年3月現在)
学歴:中央大学経済学部卒業
キャリア:日本アジア航空の機長

現在は74歳ということで、既にパイロットは引退をされていると思われます。

 

まとめ

片桐清ニ機長は現在は葉山在住?家族や副操縦士の名前と現在は?【画像】について紹介していきました。

 

片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の調査結果をまとめると

  • 片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の概要は1982年2月9日に着陸まであと少しという所で羽田空港沖に墜落した事故
  • 片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の原因は片桐機長の操縦によるもの
  • 片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の現在は航空会社を解雇され葉山の自宅で過ごしている
  • 片桐清ニ機長(羽田沖墜落事故)の副操縦士のその後は副操縦士として乗務を継続しており、日本アジア航空で機長に昇格

という事が分かりましたね!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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